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日食や日食やと [日記をちょっとね。]

日食や日食や言われすぎると興味なくなるという、いかにもなひねくれかたの私やけども、夫を起こしてから夫がお風呂入ってる間に二度寝してたら、世の中がざわざわしてきて明らかに町全体が興奮してる空気を感じたので、時計を見たら7時26分。あ、金環日食の時間かと思ってベランダ出たら、太陽がない。けど、明らかに他のマンションのベランダからみんな東の方を見てる。ちょうどマンションの真東にあって外壁で見えへんのかと思って、玄関に出て廊下の窓から見たら、想像通りの明らかな金環日食、すぐわかった。そう、日食日食と言われすぎて絶対日食観賞用のメガネとか買いたくなくなってるわけ。だから肉眼で。ってか何か「肉眼で日食見た」って、社会的タブーかのように、言えなくなってる感じがしてておもしろいな。facebookとか見てても書いてる人はみんな「薄い雲がかかってたので肉眼で見た」みたいにエクスキューズ付きで、「肉眼で見る」ってのはモラルの低さの表れみたいな感じになってるこの世の中はみんな真面目でええなぁと思った。アウトローな私は勿論肉眼で見た。でも一応夫と「1秒見るだけでも目やられるらしい」とか言い合いながらちょっと見ては交代して見た。(朝の太陽方向の窓がめっちゃ狭いから。)金環日食はうわぁと思ったけど、それよりも、静かな朝に町中がざわざわしてる感じ、あちらからこちらから空気を伝わってくる今まで聞いたことのない町の音が良かった。
特別な朝やけど、日食過ぎたらあとはいつもと同じ一日。やけど、今日一日中頭が何となく痛く目の鈍痛を感じるのは、やっぱり肉眼で見るというタブーを犯したからか。
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最近の関心事は結局こればっかり。 [日記をちょっとね。]

今年の私のゴールデンウィークはとんでもなく長かって、4/28から5/10まで、休みに休んだ。
韓国行った、天皇賞見た、京都行った、サークルの友達と飲みに行った、寝た、パリとニースとモナコ行った。その間に教案の貯金作った。そやのにその貯金は既に使い果たして、また自転車操業の日々になっている。来週木曜の教案がさっきできた。
一週間前までに作らなければならんのに2日遅れてる。

改行めちゃくちゃやけど、もう、私は日記を書くのに、見やすさのために自分の意図してないとこで改行するんはいやになった。思ったことを口からしゃべるようにここに書きたい。そうじゃないと書くことが苦行になる。そんでそんな苦行誰からも求められてないし、私も得るもんがない。ので、思う速度で書き続ける。

一般的に、日本語の授業の教案を作るのは授業時間の3倍の時間がかかると言われておって、ピアノを1日練習せんかったらそれを取り戻すのに3日かかるとか言うやつみたいなことやなと思う。やな、と思うけど、道楽でピアノを弾く私にすれば、その話は大袈裟な話で、1日弾かんぐらいで一昨日のうまさとそない変わりませんでと思う。しかしながら、教案の件は趣味ではないので、本気でやると確かに3倍は余裕でかかってまう。本気でやるととか言うと、いきってる感じしていややけど、なんと言います、自分に手抜きを許さんかったらという、仕事と言えばすぐ要領よくちょいちょいちょいとやってまう私の自堕落に関する問題や。そやねん、大阪で働いた数年間は私をいっちょまえの社会人にしてくれた感ありやけども、そこで失ったもんも勿論あって、社会人1,2年目の頃など、めっちゃしょうもない自己研鑽系の課題、しかもそんなん絶対人材育成担当もちゃんと見てるわけないでというやつに対して、何をどう書くか考えすぎて夜中までかかってたことについて、今考えるとあんなんちょちょいと「ありげ」なやつを書いといたらそれでええのに何をそんなに悩んでたんやろうなーって思うこの考え方は、失ったもんの存在の逆説的な証明やなと思う。よく言えば大局を見て何をせなあかんのかということに簡潔に対応していくということの力を少しでも得たけど、それは元の思考の習性からすると、適当に考えて体よく要領よくこなすということ同義で、そのやり方で得られるもんは無駄なぐらい考えて身を削ってやってそういう投資度外視のやり方よりも、確実に薄いんである。という自覚はあったけど、考えへんのは楽やから、そんで、誰にも怒られへんから、そうやってやってしまってた。先生がこわすぎて数学一生懸命やる、みたいなことか。そういうのがないと、できんのかもしれん。人じゃなくても、何かを恐れてるってのは、自堕落系の私には必要なことなんやろうな。
そやねんけど、そういう体よく要領よくのやり方を自分のやりたい仕事にまで適用したらいかんやろと思って、とりあえず今のところは妥協を許さんことを前提にやっている。
「過去形の連体修飾節+名詞」の文法事項を教えて、それを使えるように練習するとして、まだ知ってる単語がごく少ないその人らに、リアルな場面を提示して「こういう場面で使うねんで」という感覚をつかませて、自発的にこの文法事項を使わせるにはどうすればいいか、とか考えると、20分の会話練習を考えるんに1時間ぐらいかかってまう。
「先週見た映画はおもしろかったです。」って、一体いつ使うのか。
A「映画見たいねんけど、おもしろいのんないかなぁ。」
B「先週見た映画おもしろかったで。」
みたいに、(相手の言葉などで)前提が共有されてて、そのトピックの名詞を修飾するときに使うんやんなぁと考えても、使える単語少なすぎて、あーこれも言えん、あれもいかん、ってなって、練習を考えるのに時間がかかる。
自分が自由に英語をしゃべられへんのは何でか、自分の受けてきた英語教育はどんなんやったのかということを考えると、ここで妥協して、「そのペンはどこで買いましたか。」「これはイズミヤで買ったペンです。」とか練習させたらあかんのやと思っている。
とは言え、自分の時間のかかり具合は異常なんちゃうかと、思わなくもない。週600分の教案と教材を作るのに授業および丸つけ採点その他のない時間の全てを使ってまう。そもそもが頭の柔軟性が低く、自然と頭の前面に出てきた語彙や言い回ししか使えんところがある。プラス、ぴったりくる表現が見つかってしまうと、それ以外の表現を使うことに違和感を感じる、その感じ方が無闇に(これが障害とならん人からすれば必要以上に)でかい、かもしれん。だから自分の違和感まで考え出すと、外的要因で限定的になってる語彙・文法をのみ使ってしゃべったときにものすごい片言になって、先生は日本人ですか、ってことになる。わたしはにほんじんです。
あーもうおなか空いた。朝からこんなことばっかり言うてたらいかん。洗濯機もピーピー言ってるからしばし家事にいそしむこととす。
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とりあえず4月もあと1週間ですね。 [日記をちょっとね。]

4月も4週目になって漸くゴールデンウィークまであと1週間。
我武者羅とはこういうことかという毎日であった。
周りとか求められる基準とか置いといて、自分の限界を超えていくということが
できんかった(やらんかった)ことが会社員生活の最大の後悔やなと思ってたから、
流すとこなしに、全部100%でやった、つもり、やけど本当にそうかどうか。
うーん、でも現象面で言えば夫がびびる(というよりあきれてる)ぐらい
一日中授業の準備やらいろいろやってるし、家で教案作ってる日も
スーパーも行かずイトーヨーカドーのネットスーパーに持って来てもらってるし
(ってこれはただ化粧せんと外出るんいやっていうだけやな。ニヒヒ)、
多分労働時間だけなら会社員時代の一番忙しい時期に並ぶぐらいかも。コワー。
ということは時給に換算すると薄給すぎてヤバイので、それは考えんことにする。
そもそもこういうそれだけで一人前に生活できんようなお金しか稼がんと、
仕事してるのです私は、という顔をしてはいけない、夫に対して。
自分の好きなことをさせてもらってるんやから、晩ごはんに関しては、
前のめっちゃ楽な秘書バイトのときより、圧倒的にちゃんと作るようにしてる、
けど、もちろん週末金曜日は王将の餃子ですけど。
それでも晩ごはん食べてからまた教案作ってたら、夫が食器洗ったりしてくれてて
「置いといて~」って言いながらも、助かるからやってもらうんやけど、
申し訳ない気分半分で、それを考え出すとまたしんどいね。
職業は日本語教師でも、やはり妻であり、それはそれでちゃんとしたいという気分で、
仕事忙しいねんからしゃあないやんと開き直るのも厚顔無恥という感じでいややし、
あぁこれは家庭と仕事の両立とかってみんなが言うてるやつやねんなぁと思う。
まぁそう言いながら適当なバランスで開き直るようになると思いますけど。

授業がない日は家で只管授業の準備をするねんけど、無音の部屋でやってると
焦りすぎて頭おかしなりそうになるから、とりあえずテレビをBGMでかけている。
「みんなのうた」で「おしりの山はエベレスト」っていう歌がたまに流れてて、
ヨーデル風の早口のとこが、カタカナの練習になりそうと思って見ててんけど、
寧ろそれ以外のとこがめっちゃええ曲やんかと思ってちょっと泣けてくる。
何せ、テーマが壮大。
「当たり前と思っていた身近な家族、友人、地域のつながりこそが
最も大切で価値のあるものだと気付くまでの、おしりかじり虫の冒険」
らしい。
風邪で会社休んで布団で寝ながらNHK見るときがあれば、是非聞いてみてください。

とりあえずゴールデンウィークまでは休みなくがんばったので、
4/27から思いっきり休みますが、その休みが終わってからがこわい。
ちゃんとまたこの生活に戻れるんやろうか。
いや、絶対戻らなあかんから戻るんやろうけども。
かつて連休の前の日が一番好きとかよく思ってたけど、
今は連休始まる前から既に連休終わった後のこと考えて恐ろしくなっている。
それが異動、それが転職、ですよね。
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オオマイフリーダム。 [日記をちょっとね。]

世の中の凡庸は非凡に傾倒しますから、傾倒が過ぎて自然と尺度が歪む。
尺度が歪むと非凡が発する凡庸と凡庸が発する凡庸に差ができる。
思い込みは最も恥ずべきことの一つで、非凡から発せられるのは非凡である
と思い込んで見定められないことは恥ずかしい。その様子を見るのも恥ずかしい。
自分が非凡たることができればその恥ずかしさからも解放されるのでしょうが、
そうではないのできっと一生恥ずかしい。
これはこの3ヶ月ほどfacebookにおったところの感想。
投稿もコメントも「いいね!」も全て自己表現であるという苦々しさ。
自覚しようがしまいがあれは自己表現である。自己表現は恥ずかしい。
自己顕示ではないから一見恥ずかしくないことのはずなのに恥ずかしい。
みなさん非凡を表現しようとしているかのよう。そう思うと自分もそうではないかときて
苦しい。自意識の問題。
自分を客観視すると恥ずかしいとこだらけで生きていかれへんようになるから
故意に無自覚でおろうともしますが、それ以上に一個一個それが恥ずかしいことではない
という理由をつけな行動できんというのも息苦しい。何もしたくない何もしたくない。
生きていると恥だらけじゃないですか。普通に生きるということは何て難しい。
誰が興味あんねん、という言葉からの自由。それを求めているのだよ。
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私の定義でやっと春。 [日記をちょっとね。]

前に、9月がどんなけ暑かろうが、夏は6、7、8月であって9月からは秋やと書いたけど、
あれと同様にして、まだまだコート要るぐらい寒かろうが、3月からは春や。
やっとややっと。寒いというだけで全てがいやになるから、まじで春の到来はうれしい。
昔はキンモクセイのにおいやら風に乗ってくる音の響き方やら、そんなもんに春を感じて
幸せやとか思ってたけど、今はそういう「ふわふわの」とか「きらきらの」とかそういう修飾語
使ってるような実体のないあれではない。もっと現実的であり、切実。とか書いてて思い出した
けど、「ふわふわの」「きらきらの」みたいなんを数ある言葉から選択する人って、何で、
「空気」とかやたら言うんやろね。空のいろ、空気のおと、みたいな感じ。私も確実に
そういう言葉をチョイスしてまう人間であったことは痛烈に記憶に定かですが、ここ何年か、
そういうセンスは去った感がある。何で人間て同じやないねんやろな。頭で考えてやってた
ことやってことなんかな。情緒ぶりたかったことの表れかもしれん。ほんまこの自意識野郎が
という感じです。そういうのんから脱して今は、多分ほんま普通の言葉遣いのみする人間に
なったと思うのですけど、それがええんかあかんのかあかんとかあるんかは不明やな。
単に恥ずかしなっただけかもしれんけど。大学生と接する機会が多々あるねんけど、見てたら
大学生というか若者って、すごい無意識の自意識の中で生きてるねんな。何段階かあって、
ある段階では自分と自分の知ってる人間の外、つまり未知の人間に対する攻撃性がすごくて
それゆえ未知の人間と指定されている人から見たら怖いもの知らずみたいに見えるねんけど、
おそらくそれを経由してその後段階に至った人間は、今度は胡散臭いまでの未知のものへの
愛想良さ、「世渡りできる自分」への自惚れ、そういうのんが前面に出てきて、愛想良くされる
側としては気分悪いこと起こらんからええんやけど、語尾や声色に漲る自信、更に入り組んだ
怖いもの知らずを感じて辟易とする。大学生の中にそういうのを見てしまうのは、その全部は
私が大学生の頃そうであったからなんやけど。そこから会社員経て、今主婦、上記のとおり
語彙の選択の感覚には変化あったかもしれんけど、更に上位段階に進めたかというと
その証拠は全く見当たらず、寧ろ怠慢と無思考の塊に化しつつあるんかもしれんしそんなこと
ないんかもしれんしそんなことあんまり興味ない。自分がどうありたいかとか考えるとこが
既に自意識過剰やろと言いたいようなそんな感覚に変化したようです。私。
ほんであと自分の傾向も分かってきて、自分が考えて「ありたい姿」らしきものが言葉に
できたと思っても、それは大体が長かれ短かれブームにすぎんのです。そのブームが一生
続いたら結果論的にはブームじゃなくなるんかもしれんけど、そんなことはまずないってのも
予想つくので、自分が作ったブームに踊らされるというのはあほらしいなと思う。今そう思ってる
だけやろ、という。だから自分の考えてることとかに強くこだわって人生のいろいろを決めるのは
避けていきたい。流れ上、でええやないか。結婚するのに必要な覚悟、なんてないように、
これから先も、あんま何も考えてなかったけどそうなったからそれに対応したっていうので
ええやないかと思ってる。なんやろ、反抗期っぽい年代の頃に「ダルい」みたいなことあんまり
言わんと矢鱈全力で生きる(それも結局自分のブームの方向だけ。)人間やったから、今更
「だるー」とか言ってる高校生みたいになってるだけなんかな。運動会ダルいからグラウンドの
隅の木の下で休憩してる、みたいなやつ。そやとしたらここにこんなん書いてのもだいぶ
恥ずかしいな。北野武(ビートたけし?)が「昔の自分思い出して恥ずかしくなるってのが
大人になったってことや」みたいなことをサッポロ黒ラベルのコマーシャルで言ってたけど、
まぁ確かにそれは確実にそうやとも言えるけど、それはあくまで自分の成長を自覚する感情
じゃなくて、最後まで徹頭徹尾恥ずかしがらなあかんことやと思うのです。そやないと、
大学生が高校生見て「あー、私らもあの頃は若かったよなー」って小鼻膨らませて言ってる
みたいなもんちゃうんでしょうか。常に過去の自分が恥ずかしいのに、将来恥ずかしくない
ようにでけへんのか。ずーっと黙って表現表示開示全部せずに、無口でおったら恥ずかしく
ないんやろうなーと思うけど、そんなんは極端すぎてでけへんのやし、そこまでストイック
たられへんのです。って私こんな長々と何書いてるねんやろ。読み返すんかな。
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日記。 [日記をちょっとね。]

facebookにも書くしブログも書くと言っときながら、こちらに全然書いてなかった。
なんなんやろう、前も書いたかもしれんけど、夫と婚約(交際)状態になって以後、
思ったこととか人に言いたいこととかは思いついたさきから全部夫に話すもんやから、
ブログに書くときにはこの話しゃべんのん2回目みたいになってて、
内省的なことは特に、書く話がなくなったということなのです。
これはええことであるようやけど、私にとっては少しつまらんことでもある。
しゃべるのと書くのとではそれについての思考の活性化の仕方が違うから。

にしても寒いなぁ。いつになったら春になるの。寒いん嫌いすぎて年々冬の憂鬱度合いが
上がっていってる。去年は会社辞めてすぐやったから家におれる時間も今より多かったけど、
今は出稼ぎもしてるもんで一日中一歩も外出えへん日というのが全然なくて辛い。
出稼ぎに行かん日は絶対ピアノか中国語あるという首絞め状態。自分で自分の首を。
「専業主婦なったら暇すぎるでー」とか言ってくる人よくおったけど(私が専業主婦なる前。)
全然やないか。あれ、暇すぎるとか言ってる人って趣味なんなん。趣味仕事のタイプか。
私はとことんやることなくて毎日スタバ行って本読めるという状態を求めます。
あーでも確かにスタバ行って本読む的な、一人で何時間でも過ごせます系の
趣味ない人って、専業主婦やと暇になるんかな。ってかスタバ行って本読むってのは
その人らにとっては暇の結果ってことか。「スタバ行く時間もないぐらい暇ではない」か、
「スタバ行って本読んでるので暇がない」かのどっちかしかありえへんと思ってた。
私は暇を暇と思ってないということか。あー毎日スタバ行けるぐらい暇になりたい。
けど他にやりたいこともいっぱいあって、そういうわけにもいかん。結局自分のさじ加減
やねんけど、そうそう、完全専業主婦って時間的自由に任せて詰め込みすぎてしまうから
疲れてまうんです。だから自由をなくそうと思って出稼ぎに行き始めたわけなのですが。
そしたら今度は家で一日中化粧もせずパジャマでおって好きなことしてたいという欲求が
高まってきたということで、煩悩やまず。ほんま私など一生煩悩にまみれて生きるんやろな。
ケケケ。

最近は競馬場も寒すぎて行かれへんのやけど、この間久しぶりにえらい晴れてる土曜日
やったから、中国語行ってたら勿体無い気がして、来週から阪神開催になってまうし
京都競馬場行こうとか言って用意して外出たら、青空はまやかしで気温は全然寒いし、
こんなんで吹きさらしのとこ行ったら死にかけるに違いないと思って迷った挙句
結局なんばのWINS行ったんやけど、やっぱりWINSのモニターでパドック見ても全然やなぁと
思いながら買った馬券が複勝で9.5倍ってこれはなかなか穴な馬やねんけど、それ系の馬を
2匹見抜いてもう1匹の実力馬との組み合わせで買ってたのに、何故かその穴馬2匹の
組み合わせのワイドを買ってなくて、それワイドのくせに97.5倍(100円が9,750円になる)も
ついてたのにと思って凄まじく無念やった。これやからWINSはいややねん。買い方が
中途半端になる。モニターでしかパドック見てないっていうことによって、自分の審力眼への
信頼が中途半端になって、きっちりボックス(総組合せ)で買わへんということ。
っていう一連のこの話の読みにくさは凄まじいし、誰か競馬に興味あるんか。
ほな。
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新年から軽蔑。 [日記をちょっとね。]

皆様におかれましてはよい新年をお迎えのことと存じお慶び申し上げます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

今年は新年早々まったく原因の分からない嘔吐感に苦しみ、それが治ったかと思うと
片頭痛がすごいという、体調的にはおわってる感じの年明けでありましたが、
今や漸くそれもいきなり治り、外が寒すぎるということを除いては楽しく生きております。

そんな体調おわってるの日々やったので、あれほど楽しみにしていた冬休みの読書も
ままならない感じやったけど、とりあえず、「マイトレイ」「軽蔑」は読めて、特に「軽蔑」が
おもしろかった(おもろかった、の方が近いかも。)ので、ここにその読書メモを記す。

まずそもそもどんな話やねんということになるとこれ以下の文章意味なくなるから、
参考までに池澤夏樹の世界文学リミックスへのリンクを貼っときます。まず。

エミーリアは「めっちゃうだうだ言うインテリというか偏差値高いがゆえの
変なプライドの高さ、臆病(というより屁垂れ)は、自分では内省的とか知性的とか
思ってる(もしくはそういうことにしてる、そういうことにしてるってとこは重要。)んか
知らんけど、とにかくダサいということに気づいてないとこがキモい」と言ってるだけやのに
それでもまだ一人でいろいろ考えて、うだうだ考えて、結果やってる行動はビビリの
それ以上のものではないってとこが、(エミーリアならずとも)私も、だっさーこの男、と思う。
この男ってのは主人公のこと。リッカルド。ほんまにださい人ですよ。是非この「だっさー」の
感覚、共有してほしいです。

妻から「軽蔑してる」と言われてめっちゃ苦しむんやけど、軽蔑されてる理由を
また一人で考えまくって、しまいには、「自分が軽蔑に値する男であろうとなかろうと、
自分には知性が残っているとわたしは思った。」とか言い出す始末。
だからそこなんやって!と言いたなる。

「オデュッセウス」の心理主義的(フロイト的)解釈をBGMにして、
それをあたかもト書きの(中立的な)暗示みたいにしておきながら、それも実は主人公の
上記欠陥を引き立てる道具になっているというあたり、うまいことできてるなぁと思う。
「軽蔑」されてるということにこれほど執拗なこだわりをみせるっていうことがそもそも
全部を象徴してて、それがタイトルっていうとことか。

夢オチ、幻覚オチ多ない?!って言いたなるけど、よく考えてみたら、それも、
この主人公が(自分の馬鹿にしてる、)ラインゴルトに分析されてまうような、
心理主義的人間であることを叙情的に叙述してて、描写されるこの人のあほさ加減を
助長するためなんやなと思って、あーすごーと思う。

ほんまめっちゃ性格悪い意地悪な小説です。
この小説をにやにやしながら読んでまう私は多分めっちゃ性格悪い。

行き違いってものすごく最悪な結果を生み出し得るわりには、意図的にだって
いとも簡単に(今晩夫が帰ってきた瞬間からだって)引き起こせるよなって思うと、
恐ろしい気分になるとともに、いたずら心で実際やってみたくもなるもんであるなーと、
妙に惹かれてしまう。

facebookとの棲み分けはこういうことです。ちょっとやってみてるとあれに書くことと
こちらに書くこととはやっぱり違うなという感覚が大体確立されたので、こちらも書くし
あちらも書きます。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
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年末もろもろ。 [日記をちょっとね。]

早くも1年の終わり、楽な1年はあっという間に過ぎてしまう。

①今月台湾行く予定やってんけど夫インフルエンザにより急遽キャンセル。
わりと間際やったからキャンセル料2万5千円。2万5千円道に落としたのと同じやな。ほんま。
お金が大事であることには変わりないけど、やけど旅行行かれへんかったこと自体はそんなに
あんまり残念でもなかったのは、セブ島行く前にセブ島の次行く旅行どこ行く?と言ってて
そのときごく一時的に行きたい気がした台湾を予約してそのまま放ったらかしてキャンセル期限を迎え、
ずるずると出発直前にまでなってただけやから。
別に大して行きたくなかったのだな。今はフランスもしくはベトナムもしくはボルネオに
行きたいと思ってるけど、どこも決定的でないから、ここで予約してしまわずに
とりあえず、機が熟すまでおいとくことにする。旅行癖になってただけかもしれんから。
クラシックのコンサートも毎週毎週行きまくってるときより、数ヶ月ぶりに行ったときの方が
めっちゃええ気がするというあれと同じことである。久しぶりに旅行した時の感動のために。
というか、今は寒すぎて何もやる気せんのよ。ほんま。

②旅行はどこも別に今のところ行きたないけど、アメリカにはそういうのと違う用途で行きたい。
旅行ってか、探検ってか、視察っていうか。あー、大事な友達がアメリカに行ってしまったんよ。
ボストンやってさ。マサチューセッツ州やで。その友達がホームシックになって嫌になってきた頃に
551の豚まんをクーラーボックスに入れて持って行こうと思ってる。しかしKUES関西支部はこれでまた
危機的な人材不足に陥りましたよ。折角東京から一人帰ってきてくれたのに一人欠けるとこのざま。
どのざまかって、新年会。あーうそうそ。東京勢二人が来てくれんねんから大丈夫よね、と信じてる。
そやないと行くんこわすぎる。という状況をニヤニヤしながら楽しみにしている。
ってかこの間この件で助っ人東京海上人呼ぼうと何も状況の凄惨さを知らせずに坦々とメールしたんが
卑怯な気して電話して状況説明したときのめっちゃおもろかったのが今でも思い出し笑いしてまう
ぐらいやねんけど、何しゃべったか全く覚えてない。巷では毒舌としてもらえるところのただの悪口。
悪口って言ってめっちゃおもろい相手と全然の相手おるな。自分と相手の性格悪さがおもろい。

③facebookてなんでそんなにみんなやってんねんやろと思いながら上記友達とのつながり対策として
始めてみたら、その最初の目的外のところで大学の時めちゃ好きやった友達と何年ぶりやねんの
再会できて、たまらんうれしかった。彼女もまたニューヨークにおるってことを噂に聞いてたので
絶望視しとったけど、近々実際に会えるかもしれん感じになっててほんまにうれしい。
こういうのを「いいね!」って言うんでは。

④ってか、「いいね!」ってなんやねんと思ってたけど、ケルアックの「オン・ザ・ロード」読んで、
「いいね!」の感覚がわかったで。いや、わかったでと言うのはわたしの身に入ったというだけの
意味であって、世界の集合知における「いいね!」の感覚を知ったということではない、ってのは
何で書かなあかんのかわからんけど。「オン・ザ・ロード」には「いいね」っていうセリフがめっちゃ
出てくるってのはその第二の主人公級のやつの口癖やからやねんけど、この感覚でfacebookも
やったら、ミクシィみたいにいやにならんで済むかもしれんと思うけど、まぁ続けてみやなわからんな。
今のところつながりの先のしょうもないしがらみで結びつく人が友達リクエストしてくれても
無視してる(普通に言うことちゃうかもしれんけど。)ねんけど、だからこそ居心地のいい世界のまま
置いておける気がしてて、いつまでこの感じを保持できるか、人が増えるほどに綱渡り的な感覚で、
その感覚でこちらも「友達になる」を押したりするっていう一人でハラハラドキドキアドベンチャーや。
このブログ読んでくれてる知人・友人の人がどんだけおるんかしらんけど、ってかもしかして
わたしは世界中の知らん人の背中に向かって独り言を言ってるだけなんかもしれんけど、
まぁええねんそういう卑屈なことを言うってのは一つの守りやからうっとうしいだけやから、
もし読んでくれてる人でfacebookに登録してる人がいたら、是非わたしのことを発見してくれたら
うれしいなと思ってます、ってさっきしょうもないつながりなんは無視してるとかって言っといて
どの口が言うねんって感じやけども。いや、こんなしょうもないブログ読み続けてくれてる人おったらそら
しょうもないつながりではないつながりの人であると予想しますので、是非。こちらから見つけたいぐらい。
そんでこのブログとの棲み分けを自分の中に設定するんかせえへんのかについては今のところ
慎重に考えているところであり、ずぼらにこのままだらだらいくかも。

⑤今年も夫と一万人の第九出たでっていうのとTHE MANZAIのことと書こうと思ってた気するけど
まぁええわ。

⑥さっきちょっと書いたけど、「オン・ザ・ロード」はもうまじで死ぬかと思うほどおもしろかった。
一緒にしたら絶対あかんような気がするってのも変な権威主義でしかないかもしれんけど、
アメリカの森見登美彦読んでるような感じした。でもファンタジックゼロやからもっとおもしろいかも。
ファンタジックゼロ=そんなん絶対ないやんってか最初の筋どっか行ってもうてるやんゼロということ。
めっちゃおもろくて電車の中で笑いまくったところと、めっちゃすごいところを以下に引用しますので、
読む予定のある方は絶対読まずに飛ばしてください。


  その頃カーロは自分の声を調整中で、本人に言わせると「巖の声」に聞こえるようなものに
  したがっていた。巖のごとき認識でみんなを圧倒しようという計算だった。

  
  アイオワでは子どもを泣かせっぱなしだからきっとまた子どもたちは泣いているんだろうと思う。
  今夜は星が出るよ、神様はクマのプーさんだって知らなかったかい?草原では、宵の明星の光が
  だんだん弱まり、残照も散って、まもなく完全な夜が来て大地を祝福し、あらゆる川を黒く染め、
  山頂を覆いつくし、最後の岸辺を抱き寄せるだろう。
                               ―オン・ザ・ロード(ケルアック):河出書房新社



いやこれ、特に最初のほう、読まん(読んでない)人に読んでもらっても何のおもしろさもないやんな。
引用ってそうあるべきじゃないやんな。なんで多分これは、もう読んだまたはこれから読んだ人が
私がどこをおもしろいって言ってるか見てもらって、思い出してもう一回笑ってもらったらええなという
そういう意図なんやなっていう言い訳はしとくねんけども。

⑦おもしろい本に恵まれている、というのも池澤夏樹の世界文学Remixのおかげで。
ところどころ誰に向けた語り口なんっていうきもい(ここでは敢えて気持ち悪いではなくてきもいと
言いたい。)に鼻で苦笑したりしてまうけど、ここで書かれてる本は確かにおもしろいねん。
そらそうか、名作ばっかりやねんもんな。中学のとき名作と呼ばれるもののほんまに名作っぷりに
感動して、そっから本いっぱい読むようになったけど、やっとこの年なって外国の小説の
名作のおもしろさに気づくことができて、名作ってのはさすがに名作であるだけあるなぁと
思っています。「イワン・デニーソヴィチの一日」(岩波文庫)もおもしろかった。
前も書いたけど、大学の図書館で本いっぱい借りられるので、冬休みの図書として大量に借りてきた。
これをこの年末年始読むってのが今のところ最大級の楽しみ。
最大「級」、というのは、KUESの新年会があるからね。ウヒョヒョ。
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リ・ジュヴェナイル、セブーズ。 [うぴぴ写真館ブログ棟]

もう大分前やけど、9月の連休が続いていた頃、セブ島に行ってきた。フィリピンのセブ島である。
昔「たかじんの胸いっぱい」で観覧のお客さんが一人選ばれて運命のシャワーボックスに入って
水じゃなくて花吹雪が降ってきたら行けるというあのセブ島である。
あれを見て、セブ島行ってみたいと思っていた、小学生の頃。
その賞品の宿泊ホテルはプルクラやったけど、今回我々はシャングリラに泊まってきた。
初めて海外行ったとき、家族旅行やけど、シンガポールのセントーサ島で泊まったのが
シャングリラやって、本格的なリゾートホテル生まれて初めてやったから興奮して
夜とかベランダの椅子に座ってるだけで一生ここで暮らしたいわと思った、中学生の頃。
えらい昔の思い出を組み合わせた、シャングリラに泊まるセブ島の旅である。

その写真を。あんまりきれいに撮れてなくて写真見たら逆に思い出されへんのやけど。

朝結構早くに関西空港から出発。ここ最近の旅行、朝が早くて1日目現地着いても
眠たくてたまらんということになっていたので、前の日21時とかに寝た。ので頭すっきり。
当然のごとくエコノミーで予約してたのに、満席やとかいうことで勝手にビジネスクラスに
してくれて、足伸ばしてマニラまで。途中沖縄の上空を通ってて、明らかにこれが沖縄本島、
あの辺浦添ってわかるぐらいよく見えた。かつて自分が住んでたところを(上空からでも)
夫と一緒に見られたのがうれしい。
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マニラから国内線に乗り換えてセブ島まで。全部で6時間ぐらい。乗り換え入れて7時間ぐらい。
着いたら夕方で、空港からバスで15分、シャングリ・ラ マクタン リゾート&スパ
到着から62時間、一歩たりともホテルの敷地の外に出やんと過ごした。
このたびの旅の目的はのんびりとリゾートの感動を体験するというものであって、
だからのんびりしていないことはしないと決めていた。
朝すがすがしい時間に起きて、ゆっくり朝ごはんを食べて、前のビーチで遊んで、
疲れたらデッキチェアで昼寝して、好きな時間に昼ごはん食べて、またプールで泳いで…
というような。本当にそれしかしてなくて、今書いていてもあーいい日々やったな
というような。別世界、異次元。

着いて晩ごはん食べて、ホテルの前の砂浜を散歩する。
海の水が透明すぎて、どこまでも足から入っていきたい気分になるというこれは、
波照間島でも昔あったでというあの感覚。夜の透明な海は昼よりももっと透き通って見える。
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すがすがしい時間に起きるというのはこういうこと。
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部屋からホテルの庭を見下ろす。まだ太陽の光がやわらかい。
庭で朝ごはん食べる。
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庭のハンモックで寝る。そんなことって現実にあるねんな。

カヤックで潮に流されまくったり、褐色のインストラクターに付き従ってシュノーケルで沖まで行ったり。
ライフジャケットみたいなん着てるけど、シュノーケルって口周り一瞬間違ったらえらいことなるやん、
だから全く足つかん水深数メートルのとことか、必死やった。しかも足ヒレみたいなん付けるん忘れて
生足自力で泳がなあかんかったし。沖には大きい派手派手の魚いっぱいでおもしろかったけど、
クラゲがすごくて刺されまくった。上陸してから褐色兄さんに酢酸塗ってもらうと一瞬で痛なくなった。
アルカリ性ってこと?ってか一生でクラゲっていう英語を使うことなんて絶対ないと思ってたのに
実際使う場面があるってことに驚いた。ということはもしかして「甲イカ」とかも使うことがあるんか。
これ、実家帰ったらうちのお父さんが私の夫にクイズ出しまくるやつな。
「じゃあ甲イカって(英語で)何て言うでしょう」みたいな。「じゃあヒラメは」みたいな。
それにいっつもちゃんと相手したる夫はエライと思う。何であんなに魚の種類ばっかり問題出すんやろ。
という海の写真は全然ない。
あ、あるわ。これどうでしょう、全然きれいじゃないけど、水深15センチぐらいの浅瀬にもこんな
いっぱい魚おったでという写真。
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海でさんざん遊んでお腹空いたらそのまま砂浜のビーチチェアでお昼ごはん食べる。
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海は塩やから疲れるし、ビール飲んでんのも相俟って、ほど良く眠たくなってきて、
お昼ごはん食べたらそのまま昼寝する。
昼寝から起きたらプール。少し曇ってるのが残念やけど、海とつながってるようなプール。
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海あんのにわざわざプール入る人もそんなおらんから、
夫と背泳ぎ競争とかクロール競争とか本気でやって、
夫の平泳ぎのフォームを修正して速く泳げるようにしたりして遊んだ。

夕暮れの、だんだん闇が迫ってることを暗示してる紫がかった視界、そんな時間に行くCHIスパ。
まさにこの写真のこの色。2人用ヴィラで夫と二人でマッサージを受ける2時間。
っていうのを二日連続で。あかん、思い出したら胸が苦しくなるほど私の思うアジアの夕方やった。

スパを出ると完全夜になってて、夜のホテルの客室の光が好きやねんなぁ。
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なんか泣きそうになる。
泣きそうになるけどビール飲む。
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あー楽しかったなぁ。何か思い出したら悲しなるくらい、普段と完全に別離した時間でした。
次はコタキナバルへ。
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図書館の本、外国の小説。 [日記をちょっとね。]

自分の働く場所が大学であるということには利点があって、
茶色のレンガの建物と背の高い木と木によって広く青く切り取られた空、
坂道を登って、芝生を横目に校舎にたどり着く、これが一つ目の利点。
二つ目には図書館。大学の図書館の本は手触りが十一月の葉っぱのようで
かさかさと、読みやすい。池澤夏樹の世界文学全集を少しずつ読み進めている。
どれもこれもおもしろい。「太平洋の防波堤」は本当におもしろかった。
後に書かれた「愛人(ラマン)」のほうが削られて削られて残ったものという感じがするけども、
愚図愚図したところもある「太平洋の防波堤」のほうが、没頭していけたというのは
「愛人」はそれの焼き直しであるから、それで、もう知ってる、というところがあるからという
それだけのことかもしれん。
これまで何故この世界文学全集に手をつけてなかったかと言えば、私には
外国文学を、翻訳物を、読む忍耐力がなかったからなのである。大人になったら勝手に
身についてるものって結構あるような気がしますが、これもそれのひとつやな。
なんとなく読みたくなったサガンの「ブラームスはお好き」を図書館で借りてみたことが
きっかけであるけども、違和感覚える日本語には目を瞑り、描かれる世界のイメージを
文字(ことば)から抽出することに専念すれば、その最初のインプット以外は
結局日本の小説と同じやということがわかり、あ、結構大丈夫やわと思って、
サガンをどんどん読んで、そっからデュラスに挑戦し、そう、そのときは挑戦と思ってた、まだ。
読んでみたらすごいおもしろいから、なんや、挑戦でも何でもなくて、普通におもしろいものを
おもしろがるということができるんやなということで、そっからはただの愉しみになった。

この間読んだ「鉄の時代」にすごい箇所があったよ。(以下引用)
  
  その恥知らずという恥辱感―それがこの頭から離れなくなって、それからというもの、
  耐えがたいものになってしまったのよ。自制力を失うわけにいかない理由は、それ。
  (中略)自分の位置がわからなくなるから。
                              ―鉄の時代(クッツェー):河出書房新社

常に私を支配してきたマトリョーシカの批判、自分のあかんとこをあかん、と思って、
あかんと思ったら許されると思ったらあかんと思って、って思ってたら許されると思ってたらあかん、
って思ってたら許されると思ってたらあかん、(って書いといたら許されると思ってたらあかん、
って書いとったらましになれると思ってたらあかん、)って無限に続くやつ、現象面に着目した名前は
マトリョーシカの批判ってことでまぁ言い表せるけど、だからそれは何なんって一言で言ったら、
「恥知らずという恥辱感」なのでした。あぁ。

これは私の話ではなくて、病魔に冒された老婆、アパルトヘイト体制下の南アフリカの話。
よりよく生きる、ではなくて、生きる、ということは、死ぬ瞬間までの全ての瞬間を
自分の手の中におさめておくということであり、抗うことであり、戦うことであり、
恥知らずという恥辱感をコンパス=拠り所にして自分を制圧下におき続けること、なのですね。
私が本当の本当にそうやって生きたいかというと、YES=NOである。
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